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東雅
二地輿
地つち 義不詳、按ずるに我国太古の語には、天に対しては必ず国といひけり、〈天つ神国つ神天御柱、国御柱などいふ類、悉く皆然らざるはなし、〉されば旧事古事等の記に見えし、地の字お読むにもくにといひ、又はところなど読む、旧事紀の始に、天地未剖などしるされし事あれど、これはまさしく三五暦記、淮南子等に見えし所お、概括して其文お成され、地の字お読む事、我国もとより土(つち)お呼ぶことばによりて、つちとせられしと見えたり、されど其余太古の事どもしるされしことばの中に、天に対し言ふに、地おもてせられし事は見えず、さらばあめつちなどいふは、我国の上世よりいひつぎしことばとは聞えず、〈万葉集の歌に、あめつしと読しは則転語なり、〉古事記の始に見えし所も、旧事紀の文によれるなるべし、日本紀の如きは、旧事紀に拠りて撰ばれし所也といひ伝へたり、旧事紀すでにかくの如し、其他はいふに及ばず、〈或人の説に、土地の字共につちとよむは、漢音によれる歟、当時南京の音おもて土地の二字お合せ呼ぶにつちといひ、つヽ(○○)といふが如しといふなり、我国に漢字の伝りてより此かたの語には、漢音によりて我国の方言ともなりしいくらもあれど、土おいひてつちともつヽともいひしが如きは、我国太古よりの語たる事、疑ふべくもあらねば、其説また拠るにたるべしとも覚へず、〉