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国号考
日本(にほむ)〈比能母登といふ事おも附いふ◯中略〉 比能母登(ひのもと)といふ号は、古の書に見えず、日本(にほむ)といふは、意はその意なれども、もと異国へしめさむために設けたまへるなれば、ひのもとヽはよまず、始めより爾富牟(にほむ)と字音にぞいひけむ、万葉集に日本之とあるお、ひのもとのと訓るところ多かるは、後人のしひて五言によまむためのひがことにて、皆四言にやまとのとよむべきなり、たヾ三の巻なる不尽山の長歌に、日本之(ひのもとの)、山跡国乃(やまとのくにの)雲々とあると続後紀十九巻、興福寺の僧の長歌に、日本乃(ひのもとの)、野馬台乃国遠(やまとのくにお)雲々、また日本乃(ひのもとの)、倭之国波(やまとのくには)雲々、などヽある、これらのみは、ひのもとのなり、されどこは国号にいへるにはあらず、倭といはむ枕詞なり、それにつきて、おのれ〈◯本居宣長〉いまだわかヽりし程に思へりしは、やまとお日本と書故に、その字のうちまかせたる訓お、やがて枕詞におけるにて春日の春日(はるひのかすが)、飛鳥(とぶとり)の飛鳥(あすか)などヽ同じ例なりと思へりしはあらざりき、まづ春日のかすがとは、春の日影のかすむといふ意につづけ、飛鳥のあすかとは、書紀に、天武天皇の十五年、改元曰朱鳥元年、仍名宮曰飛鳥浄御原宮とある、これ朱鳥の祥瑞の出来つるおめでたまひて、年号おも然改めたまひ、大宮の号おも、飛鳥雲々とはつけたまひしなり、さればこれは、とぶとりの浄御原宮とよむべきなり、あすかの浄御原といはむは、本よりの地名なれば、ことさらにこヽに、仍名宮曰雲々、などいふべきにあらざるおおもふべし、とぶ鳥とは、はふ虫といふと同じくて、たヾ鳥のことなり、さて大宮の号お然いふから、その地名にも冠らせて、飛鳥の明日香(あすか)とはいへるなり、さてかすがお春日、明日香(あすか)お飛鳥ともかくことは、いひなれたる枕詞の字おもて、やがてその地名の字となせる物なり、そはかのあおによし、おしてるなどいふ枕詞お、やがて奈良難波の事にしていへると、心ばへ相似たり、かヽれば春日のかすが、飛鳥の明日香といふはその地名の字のうちまかせたる訓お、枕詞になせるにはあらざれば、ひのもとのやまとも、然にはあらず、又これは枕詞のひのもとてふ字おもて、国名の夜麻登の字として、日本とかくにもあらざれは、かの二つの例にもあらず、たヾ日の本つ国たる倭といふ意にぞ有ける、それにとりて此枕詞、もしいと古くより有しことならば、孝徳天皇も、日本といふ名は、これおおもほしてや建たまひけむ、されどかの不尽山の歌は、いとしも古からず、それよりあなたには見えざれば、こは日本といふ号のこヽろおおもひて、後にいひそめつるにもあらむか、その本末はわきまへがたくなむ、