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国号考
大八島(おほやしま)国 皇大御国の号、神代に二つあり、一つには大八島国(おほやしまくに)、二つには葦原中国(あしはらのなかつくに)なり、その大八島国といふは、古事記に、〈◯中略〉故因此八島先所生、謂大八島国と見えたり、書紀にも生坐る次第などは、伝々異なれども、八つの数は同じくて、由是始起大八洲国之号焉とあり、そも〳〵志摩(しま)とは周廻(めぐ)りに界(かぎり)限のありて、一区なる域おいふ名なり、〈◯中略〉さてこの大八島の島も、海の周りて隔れる一界の国おいへるにて、その例は、書紀の神代巻に三韓国おも韓郷(からくに)之島といひ、万葉集の歌には、海おへだてヽは、大和国の方おさしても倭島とよみ、又此大八島おすべても、倭島根とよめるなど是なり、さて八島としもいふは、海お隔てずて一連なるおば、幾国にまれ一島として、その数八なればなり、かくてその八(や)は例の弥(いや)にて、もとはたヾ島の数の多かる意の号なりけむお、やヽ後に八つの意にとりて、その数おとヽのへていひ伝へたるかとも疑はるめれども、古事記にしるされたる八つにて、畿内七道(なヽみち)の諸国(くに〴〵)みな備はり、又他の島々は一つもまじらずして、余れるもなく足ざるもなければ、本より八つの数は動かざるにこそ、書紀の伝々には、此内に他の島々もまじれヽば、八つの数動けれども、古事記の正しきにつきて定むべきなり、さて此号(な)は、外国に対はず、ひとりだちて天の下お統言号なり、