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日本釈名
上地名
大和 やまとの訓 山跡(と) 山止(と) 山戸(と) 古人此三説あり、〈◯中略〉篤信おもへらく、古人の説は後人まことにみだりに議すべからず、されど此三説皆みだりにおしはかりて附会せるやうに聞え侍べれば、信用しがたし、神武帝の日向より東征し給ふ時、先難波より枚(ひら)方にのぼらせ給ひ、それよりいこま山おこえて、大和に入給ふ、胆駒山の外(そと)にある国なる故に山外(と)と雲、とは外也、淀河の内にある国お河内と雲、山外(と)とは河内に対して名づけけらし、又いこま山のうしろにある故、山背(しろ)と雲、うしろは北也、やまとお日本の総名とせしは、大和国に都有しゆへ也、しき島に都ありしゆへ、日本の総名お敷島と雲しがごとし、もろこしに此ためし多し、〈◯下略〉