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日本書紀
十一仁徳
五十年三月丙申、河内人奏言、於茨田堤雁〈◯雁原作鷹、拠釈日本紀攺、〉産之、即日遣使令視曰既実也、天皇於是歌以問武内宿禰曰、多莽耆破屡(たまきはる)、宇知能(うちの)〈◯知能原倒、拠釈日本紀攺、〉阿曾(あそ)、儺虚曾破(なこそは)、予能等保臂等(よのとほひと)、儺虚曾波(なこそは)、区珥能那餓臂等(くにのながひと)、【阿耆豆辞莽】(あきつしま)、【揶莽等能区珥】珥(やまとのくにに)、箇利古武等(かりこむと)、儺波企箇輸揶(なはきかすや)、武内宿禰答歌曰、夜輸弥始之(やすみしし)、和我於朋枳弥波(わがおほきみは)、于陪儺于陪儺(うべなうべな)、和例烏斗波輪儺(われおとはすな)、阿企兎辞摩(あきつしま)、揶莽等能倶珥珥(やまとのくにに)、箇利古武等(かりこむと)、和例破枳箇儒(われはきかず)、