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冠辞考
四志
しきしまの 〈やまとのくに〉 万葉巻十三に、〈人麻呂家集〉志貴島(しきしまの)、倭国者(やまとのくには)、事霊之(ことだまの)、所佐国叙(たすくるくにぞ)、また式島之(しきしまの)、山跡之土丹(やまとのくにに)、巻九に、〈天平元年〉磯城島能(しきしまの)、日本国乃(やまとのくにの)、石上(いそのかみ)、振里爾(ふるのさとに)雲々、こは崇神紀に、三年九月、遷都於磯城、是謂瑞籬宮、欽明紀に、元年七月、遷都倭国磯城郡磯城島、仍号為磯城島金刺宮とありて、二代ながら殊にあまた年おはしまして名高ければ、さる比よりおのづから大和の国の今一つの名の如く成にけん、仍て後にこと所の都となりても、猶やまとヽいふには冠らせてよめるならん、奈良朝となりては、既やまとの事として之奇島能(しきしまの)、人者和礼自久(ひとはわれじく)としもよみたり、