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馭戎概言
上之上
後漢の光武が時に、倭奴国奉貢といへるは、倭奴国はいづれの国おいへるにか、さだかならねど、これも凡百余国といへる中の一つにて、倭国之極南界也とあれば、つくしなどの南のかたつかたなるべし、然るお此後漢書の註にも倭といひ、唐書などに、日本古倭奴也といへるは、いかにぞや、こは本の詞およくもわきまへず、なほざりに見て、まぎらはしつるひがことなるお、御国の人すらなほわきまへず、倭奴おも、たヾ倭とひとつことヽ心得おるかし、さるからかへりて、かの倭国之極南界也とあるおも倭は国(くに)の極南界也として訓(よめ)るは、いみじきひがことなり、さるつたなき文詞あらんやは、