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大扶桑国考

諸越(もろこし)の古書どもお閲するに、其国の古伝説に、東方大荒外に扶桑国と称する神真の霊域、君師の本国ありて、その国初に出興せし、三皇五帝など雲ふは、謂ゆる扶桑国より出て、万づの道お開きたる趣に聞ゆるお、採り集めて熟に稽ふるに、其扶桑国としも謂へるは、畏きや吾が天皇命(すめらみこと)の神ながら知食(しろしめ)す皇大御国(すめらおほみくに)の事にして、其三皇五帝と聞えしは、我が皇神等(すめがみたち)になも御坐しける、其は固より然るべき道理なるお、今その由緒お述て、なほも天照坐大御神(あまてらしますおほみかみ)の、本つ御国の大御光お輝さむと為るに、既(はや)く此方の古人たち、其扶桑と雲ふお、皇国の漢名と為して、詩賦文章の類にも往々用ひ、〈◯註略〉また歌文の集、紀事の書の名にも負せたるお、近世の学者たちは、其お非(ひがこと)と論へるも許多あり、然れど此は古人の、皇国に当たるが実に協ひて、其お非と雲へる後人の論ぞ、却りて非には有ける、〈◯下略〉