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古事記伝

師〈◯賀茂真淵〉の久爾都知(くにつち)の考お見れば、なほ阿米都知(あめつち)ぞ古言なりける、彼考に雲く、久爾(くに)と雲名は限(かぎり)の意なり、東国にて垣(かき)お久禰(くね)と雲にて知べし、〈◯中略〉地(つち)は天と等しく広く、国(くに)は限りあれば狭きに似たり、〈◯中略〉さて久爾(くに)は限りの意ぞと雲ふ由は、天照大御神月読命は、天の日夜(ひるよる)お分ちしろしめすなるお、須佐之男命の天に上りたまふ時に、欲奪我国と天照大御神の詔ひ、月読命は所知夜食国と皇祖神の詔ひ、又須佐之男命は所知せ海原とありて、次に不治所命之国(よさせるくにお)とも皇祖神の詔ひ、又万葉二の人麿の挽歌にも、天皇之(すめろぎの)、敷座国等(しきますくにと)、天原(あまのはら)、石門乎開(いはとおひらき)、神上(かむあがり)、上座奴(あがりましぬ)とよめるなど、みな限りて所知(しろし)めす処お、天(あめ)にても国(くに)と雲り、これらにて、久爾は本は天(あめ)に対へ雲べき名に非ることお知べし、