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玉勝間

国お州(○)といふ事 国々の名お某州といふことは、いづれの御代のおさだめにもあらざることなり、いにしへは、わたくしの漢文などにこそは、いとまれ〳〵には見えたれ、たヾしきおほやけの物には、みな某国とのみありて、州といへることはさらに見えず、然るお近き世の人は、かヽる上の御さだめおもわきまへしらず、みだりにからめかすことおのみ好みて、某国といふよりは、某州といふおうるはしき事に心得て、いひも書きもすなるはいかにぞや、前後上下などに分れたる国の名の、一字にてはまぎるヽおば、野之上州下州、あるは越前州筑後州なども書くめり、そも〳〵国の字も州の字も、同じく久爾(くに)にはあれども、奈良の御代などよりは、かヽることもみな、その文字お定められて、心にまかせてはかヽざることなるおや、又或儒者のいへるは、国といふは封建の制にこそあれ、皇朝も郡県の制になされたる世には、州などヽこそいふべけれ、国と定められたるは、あたらぬ文字なりといへるは、漢国の今までの例になづみて、中々にかの国のこヽろにもあらず、いみじきひがことなり、まづかの国の今までの例とは、封建といひし代には、斉国旅国などいひつれども、いはゆる郡県になりてよりは、某国といふことは、今までの代々には例なければなり、されどそれになづめるは、中々にかの国のこヽろにもあらずといふゆえはすべてかの国にて、かやうの物の定めは、さき〴〵の例にはかヽはらず、其時々の王の心にて、いかにも〳〵定むる事にて、その定めわろしとても、用ひざるやうはなし、されば地の分ちざまなども、後の代々には、くさ〴〵有て、先の代に例なきこともあれど、そはとまれかくまれ、その定めにこそはしたがふなれ、さればそのこヽろおもていはヾ、皇朝にても天の下お、かの郡県の制にならひて定められたりし御代にも、其名おば改めず、なほ古へより有り来しまヽに、某国と定め給ひたりしも、天皇の大御心にしあれば、なてふことかはあらん、なほいはヾ、から国のこヽろはいかにまれ、それにかヽはるべきことかは、皇国は皇国なる物おや、