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古事記伝
二十九
さて諸国の総ての数は、古へに幾許とも雲ること物に見えず、〈旧事紀の国造本紀に挙たる国々なども、なほ漏たるも多かるべければ、拠としがたし、〉これも孝徳天皇の御世には、慥に定まりつらむ、〈大凡諸国の古の分(きざみ)ざまは、後世の国お分て郡とし、郡お分て郷とせられたる如くに、際々(きは〳〵)しくはあらで、国の内なる地おも、又国と雲るたぐひ多し、此記に陸奥石城国造、常道仲国造などあるが如き、陸奥も国なるに、其国内なる石城おも、同く国と雲、常道の国内の仲おも、同く国と雲、又書紀継体の巻の歌に、春日国、万葉に、吉野国、初瀬国なども雲るが如し、是後に郡と定められたるほどの地などおも、通はして同く国とも雲しなり、然れば天下なる国の数、都て若干国など、きはやかに定め雲ることもなかりけむ、然れども大形お以て雲ば、国と雲名は広くして、県など雲しは、国より小く、又里村(さとむら)など雲は、県より又小し、つねに其国之其県(そのくにのそのあがた)と雲、又神功皇后段に、末羅(まつら)県之玉島里、書紀崇神巻に、茅渟(ちぬ)県陶邑(すえのむら)、景行巻に、八つ代県豊村などあるお以て、其称の大なる小きお弁ふべし、後世の分属(きざみ)と、大かたは違はざるなり、◯中略〉さて後にも一国お二に分、又二国お一に合せなど、御世々々に彼此変りしもありつるお、嵯峨天皇御世、弘仁十四年に、越前国お割て、加賀国お建られて、六十八国〈此内に壱岐と対馬とおば島と雲て、国とはいはず、〉に定まれる後、今の如くにして、永く革(かは)れること無し、