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源平盛衰記

丹波少将召下附日本国広狭事 少将被思けるは、日本は是本三十三箇国(○○○○○)也けるお、六十六(○○○)に被分たり、越前、加賀、能登、越中、越後五箇国は、本一国也、中比三箇国に分たりしお、越前、加賀両国の間に四の大河あり、庁参の時、洪水の為に人多く損ければ、是は庁の遠き故也とて、嵯峨天皇御宇弘仁十四年に上奏お経て、加賀郡お四郡に分て加賀国と定め、能登郡広しとて、四郡に分て能登国と定む、さてこそ五箇国おば越路とて道は一なれ、又陸奥、出羽両国是も一也けるお、二箇国に被分たり、〈◯中略〉又備前、備中、備後、本は一国也けり、豊前、豊後も如此、筑前、筑後も同事、肥前、肥後もかくの如し、〈◯下略〉