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古事記伝
二十九
大県小県(おほあがたおあがた)〈凡て某県と雲ときは、多くは阿は省く例なれば、此も意富賀多、袁賀多とも訓べし、〉大小は、大国小国の例と同くて、〈後の制の大郡、上郡、中郡、下郡、小郡などの謂には非ず、〉たヾ県々と雲むが如し、さて阿賀多(あがた)は上(あが)り田にて、元は畠のことなり、〈書紀仁賢巻に、〓此雲波陀該、和名抄に、〓耕麦地也、また畠一曰陸田、和名八太介、〉田と雲は、田おも畠おも統たる名にて、其中に、水のつかぬお畠とも、上田(あがた)とも雲、水田よりは高く上りたる由なり、〈◯註略〉神代巻に高田(あげた)、万葉〈十二〉に、上爾種蒔(あげにた子まき)などあるは、水田の高きに雲るなれど、是高処お阿宜(あげ)と雲証なり、さて阿賀多は、元畠のことなりと雲拠は、上巻八千矛神の御歌に、夜麻賀多爾(やまがたに)、麻岐斯阿多泥都岐(まぎしあた子つき)雲々、下巻高津宮段大御歌に、夜麻賀多邇(やまがたに)、麻祁流阿袁那母(まけるあおなも)雲々、などある夜麻賀多(やまがた)は、山阿賀多(やまあがた)の謂なるに、〈郡名の山県などにて知べし〉求(まぎ)し、茜蒔(まけ)る青菜などあるお以て、山なる畠なることお知べし、〈されば諸国に地名の下に、別に附て雲県にはあらで、たゞ県とも、又某賀多とも雲地名、河内に大県、美濃に方県、山県、信濃に小県、但馬に二方、安芸に山県、日向に諸県など雲郡名、其外郷里の名にも多かる、皆本は畠より負るなり、さて地名の下に附け雲も、其外も、上に言お連ねて、言ときの県の唱は、上代のは多く阿お省きて、賀多と雲りと聞ゆ、右に引る郡名ども、又年魚市県、松浦県など雲類是なり、然るにやゝ後には、海辺の瀉と混れて、かの年魚市県、松浦県などの県おも、たゞ瀉とのみ心得て、後にはたヾ、海辺の地名にのみ雲ことのごとくなれれども、右に挙たる如く、古は海なき国々の地名にも、某県と雲るが多きにや、◯中略〉かくて漢字お用る世になりて、此阿賀多に、県字お当て書ならひて、やヽ後には、必しも朝廷の御料(めしたま)ふ地ならねども、彼漢国にて、県と雲にあたる程の地おば、凡て某県と雲ことになれるなり、