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倭訓栞
前編九古
こほり〈◯中略〉 天平中に諸国造郡之図奉ると見ゆ、郡県およめるは拾遺集物名、古本催馬楽にみゆ、小治(はり)の、義なるべし、一説に今の朝鮮語にこほるといへば、もと韓語成べしといへり、韓地に熊備己富里ある事、日本紀に見えたり、成務紀に国郡県邑と書れど、県は郡の古名也、されば類聚国史の国造の条に、延喜の詔に、昔難波朝廷始置諸郡と見ゆ、上野国多胡郡の碑、今池村に現在す、郡お建たる事お記す、古へすべてかヽる事なりしや、〈◯中略〉一郡に一村なるは、遠州磐田郡見附の宿是也、日本紀に背評おへこほりとよめり、今の氏姓にもしかいへり、続日本紀に、本国日高評人、内宮儀式帳に、難波朝廷天下立評給時と見えたり、郡お評といふは、新羅の俗称なるよし梁史に見えたり、