[p.0094][p.0095]
倭訓栞
前編三十一牟
むら 村邑およめり、群居の義也、村里お通じいへど、霊異記に、越前国加賀郡大野里畝田村と見えたれば、村は里の内(○○○○○)たるべし、又相模集に、あと村の里とよめり、されば五十戸為里の説によれば、村中の里(○○○○)ときこゆ、村もと村に作る、正字通に、経史に村字なしといへり、