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南海通紀
二十一
老父夜話記 三谷掃部左衛門は天文八年の産にして、寛永の晩まで存命し、百余歳お超たり、其子彦兵衛は元亀二年の産にて、将軍八代お度る、渠が夜話に曰く、〈◯中略〉総て四国は上世より佗国に不交国人なれば、諸将兵卒凡民の分定て、其礼義お不紊、法令厳重也、人倫部類は田夫の婦お田佗と雲、其夫お農夫と雲、百姓の婦お阿女と雲ひ、副(そひ)と雲、其夫お阿長と雲、名主の婦お家阿と雲、其夫亭長と雲、諸士の婦お内と雲ひ、家公と雲、其夫お尊(たふと)と雲、頭人の婦お上と雲ひ、奥と雲、君将の婦お簾中と雲、各其分お踰ること不成也、士卒も亦恩田あり、私田あり、皆耕作おなして農人に同き故に、四国破廃の時、我が前代より持来る所の田地お耕作して年貢お出し、住所お不去也、其主君たる人も世の望なきは、其被官人に養れ、渇命お続ぐ人多し、其功お立べきと思ふ者は、佗国へ行也、又国の守より呼び出さるヽも有也、