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玉勝間

古書どもの事 ふるきふみどもの、世にたえてつたはらぬは、万つよりもくちおしく歎かはしきわざなり、釈日本紀、仙覚が万葉の抄などお見るに、そのほどまでは、国々の風土記も大かたそなはりて、伝はれりと見えたり、〈◯中略〉又風土記は、いとたふとき物なるに、今はたヾ出雲一国ののみ、またくてはのこりて、ほかはみな絶ぬるは、かへす〴〵もくちおし、さるは応仁よりこなた、うちつヾきたるみやこのみだれに、ふるき書どもヽみなやけうせ、あるはちりぼひうせぬるなるべし、〈◯中略〉かくて風土記も、今の世にもかれこれとあるは、はじめの奈良の御代のにはあらず、やヽ後の物にて、そのさま古きとはいたくかはりて、大かたおかしからぬものなり、其中に豊後国のは、奈良のなれど、たヾいさヽかのこりて全からず、そも〳〵かくはじめのよきはたえて、後のわろきがのこれるは、いかなるゆえにかと思ふに、これはた世人の心、おしなべてからざまにのみなれるから、ふるくてからめかぬおば好まず、後のいささかもからざまに近きおよろこべる故なるべし、〈◯中略〉さてしかもとの風土記はみな絶ぬる中に、国はしも多かるに、出雲ののこれることは、まがことの中のいみじきさきはひなり、〈◯下略〉