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吹塵録
二地域及田制
地図小記 我邦従古以来全国の地図不備、或は有之も兵乱の際に湮没して不伝歟、これ大欠典にして、其沿革荒開唯口牌に伝へ、其真お察するに由なし、正保元年、国郡図(○○○)諸城の図成りて、是お政府に納む、亦元禄九年輿地図(○○○)成る、其後文化十二年、測量図(○○○)成る、是れ下総の住民伊能勘解由〈忠敬〉なるものヽ製する所也、勘解由推測の術、天文地理に通暁し、勉励して其学お研究す、其間猶疑団甚多く、之お胸中に蓄へ、広く古書お窺ひ、遠く術者に問ふ、其頃高橋作左衛門〈景保、号観巣、〉なるもの、測量天文学お以て幕府に聘せられ、西洋法式お主張す、伊能氏其説お聞くに及びて、疑団氷解し、其術益々進む、於是終に雇お以て全国測量お命ぜらる、寒暑お不避従事数年、足跡邦内に普く、遂に測量全図お製せり、此図成るに及びて、始めて我邦地形の真面目お見るお得たり、嗚呼伊能氏其志の篤く、其術の精しき、古より未だ曾てあらざる所にして、後又是に継ぐ者無きなり、 中古より今に及ぶまで、欧羅巴洲我が国図お収るもの、此測量お根拠と為さヾるはなし、滋に其大略お記さん、 文政の末年、和蘭加比丹江戸に来り、定規の拝礼お修む、此時其附属の医しーぼるとなる者、諸学に通暁し、其名猶高し、高橋氏学術研究の為め官許お得て、暫時面晤に及ぶ、しーぼると氏文化年間、旅国より我邦に使せしれさのー氏の著せる日本紀事お蔵す、出して高橋氏に示す、氏此書お我邦に益あるお以て大に希望し、是書お得ん事お欲し、百方請求すれども、彼敢て不与、此時彼も亦我邦図お求むる事切なりといへども、当時国禁第一の者なるお以て得るに道なし、此に至終に窃に謀る所あり、両情其所好に投じ、高橋氏密に伊能氏の測量図お縮写し、附するに天度お以てし、贈りて以て其書に換ふ、〈此事後日発覚して皆刑罰お蒙る〉従是此図和蘭国に入る、彼採て其国都に鏤刻す、英仏も亦其都府に飜刻し、彼諸州支那并に我邦航海の用欠くべからざるの海図となれり、これその大略なり、