[p.0143]
京の水

京程図解 平安城の制度は、延喜式に載すといへども、星霜累りて内裏も所変り、旋(やゝ)もすれば戦場となる、〈◯中略〉室町殿日記追加に雲、天正十八年の頃、豊臣秀吉公六十余州属御手、四海静謐に治りしかば、玄以法印、法橋紹巴おめして、潜に洛中の堺お御覧ぜらるヽに、東は高倉よりあなたは鴨河原也、遥にこれお見わたし給へば、渺々として東山にとりつヾき、みな耕作の地也、西は大宮よりあなたは嵯峨太秦へ押通つて田畠也、四方の際いづれとも界もなく田舎の在郷の如し、幽斎お召て、花洛とは昔より言伝へぬれども、京都の分野は在郷の如し、北は何れより南は此迄といふ、洛中洛外の堺お末代迄相定べし、都の旧記おきかばやと仰出されければ、幽斎畏て釈せられけると雲雲、於是洛中の封境お諸侯に仰て四方に築せ給ふ、然りといへども町小路の本名お喪ひ、異名お多く呼て旧法お滅す、〈◯下略〉