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京の水

左京右京之訳 左京右京坊城等の制度は、文武帝の御時、平城都に初て備れりと見へたり、しかれども其詳なる事知べからず、桓武帝今の地に都お遷し給ふより、こヽに於て両京坊城の制法厳重たり、〈これより已前の制法、又此によつて推知べし、〉左京右京の広さ、東西の条三十二町に、南北の条三十八町也、朱雀通〈今の千本通也、北に朱雀門あり、南に羅城門あり、〉左京右京の間にありて、道幅二十八丈なり、これより東の分お左京とし、左京職これお掌る、其中に町数六百八町、保数百五十保、坊数三十六坊あり、〈委は末に見へたり〉東の端お京極といふ、朱雀通より西の分お右京とし、右京職これお掌る、其中に町数六百八町、保数百五十保、坊数三十六坊あり、左京と同じ事にして、これも西の端お西京極といふ、〈◯下略〉