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源平盛衰記
十七
実定上洛事 其中に後徳大寺の左大将実定は、旧都〈◯平安京〉の月お恋わびて、入道に暇乞、都へ上給けり、元より心数奇給へる人にて、浮世の旅の思出に、名所名所お問見てぞ上られける、千代に替らぬ翠は、雀の松原、みかけの松、雲井にさらす布引は、我朝第二の滝とかや、業平中将の彼滝に、星か河辺の蛍かと、浦路遥詠けん、何所なるらん覚束な、求塚と雲へるは、恋故命お失ひし、二人夫の墓とかや、いなの湊のあけぼのに霧立こむる、昆陽の松、必春にはあら子ども、山本かすむ水無瀬川、男山にすむ月の、石清水にや宿るらん、秋の山の紅葉の色、稲葉お渡る風音、御身にしみてぞ覚しける、さても都に入給ひ、彼方此方お見給へば、空き跡のみ多して、たま〳〵残る門の内、行通人も無れば、浅茅が原、蓬が杣と荒果て、鳥の臥戸と成にけり、八月半の事なれば、まだ宵ながらいづる月、主なき宿に独住、折知がほに鳴雁の、音さへつらくぞ聞召、大将はいとヾ哀に堪ずして、大宮の御所に参、待宵の小侍従と雲女房お尋給ふ、元より浅からざる中也、侍従出合請入奉て、良久御物語申けり、さても宮の御方へ角と被申よと仰ければ、侍従参て御気色お伺進せけり、宮斜ず御悦ありて、こなたへと仰けり、大将南庭おまはりて、彼方此方お見給ふに付ても、昔は二代の后に立給ひ、百しきの大宮人にかしづかれて、明し晩し給しに、今は幽なる御所の御有様、軒に垣衣繁り、庭に千草生かわす、事問人もなき宿に、荻吹風も、さはがしく、昔お恋る涙とや、露ぞ袂おぬらしける、時しあればと覚しくて、虫の怨もたえ〳〵に、草の戸指も枯にけり、大将哀に心の澄ければ、庭上に立ながら、古詩お詠じ給ふ、 霜草欲枯虫思苦、風枝未定鳥栖難、と宣て其より御前に参給けり、八月〈◯治承四年〉十八日の事也、宮は居待の月お待詫て、御簾半巻上て、御琵琶おあそばして、渡らせ給けるが、立出る月かげお、猶や遅とおぼしけん、御琵琶お閣せ給つヽ、御心お澄させ給けり、源氏の宇治巻に、優婆塞宮の御女、秋の名残おしたひか子、明月お待出て、琵琶お調べて、通夜心おすまさせ給しに、雲かくれたる月影の、やがて程なく出けるお、猶堪ずや覚しけん、撥にてま子かせ給けん、其夜の月の面影も、今こそ被思知けれ、大将参て大床に候はれけり、大宮は琵琶お引さして、撥にて其へと仰けり、其御有様あたりお払て見え給ふ、互に昔今の御物語あり、大将は福原の都の住うき事語申て被泣ければ、宮は平京の荒行事仰出して、共に御涙に咽ばせ給けり、角て夜もいたく深ければ、后宮は御琵琶お掻寄させ給て、秋風楽おひかせ給ふ、侍従は琴お弾けり、大将は腰より笛お取出、平調に音取つつ遥かに是お吹給、其後故郷の荒行悲さお、今様に造りて歌給ふ、 古き都お来て見れば、浅茅が原とぞ成にける、月の光はくまなくて、秋風のみぞ身には入(しむ)、と三返歌ひ給ければ、宮お始進せて、御所中に候給ける女房達、折から哀に覚て、皆袖おぞ絞ける、