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応仁広記

偃鼠草案并序〈◯中略〉 嗚呼悲哉、七百余歳の花の洛、今何ぞ成犬戎境乎、就是近代予〈◯飯尾常房〉が見及ぶ処、京白川へかけて二十万間の人家皆郊野と成ぬる事おば先づ措て、仏閣僧坊大家大仁の旧跡悉絶果て、名おさへ不残事お歎敷存るまヽ、閑居の暇に略して、挙其一二、以待後君士、直当字而広之而已、先づ北は西蔵口より下は七条に至り、西は壬生より東は至朱雀、其交ひ皆悉人家也、故に九重并薨、万国捧匡、江の南北、湖の東西、処として無不朝、真に名に負ふ平安城也しに、不量応仁の兵乱に因て、今赤土と成らんとは、就中禁裏紫宸と成るは仙洞也、今の伏見殿是也、〈◯下略〉