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松屋棟梁集

東都称呼弁 とりがなくあづまのみやこといへる称は、江戸名所記〈五の巻、芝泉岳寺の条に、いにしへは淀鳥羽に車借ありて、都ならては牛車はなかりしお、江戸はあづまの都にて、牛車おゆるされ、いかなる土橋板橋のうへおも、心のまゝにひくとかやと見ゆ、◯中略〉かまくらの禅興寺の鐘のことがき〈鎌倉志三の巻、禅興寺鐘銘に、寛文攺元辛丑歳、東都豪貴内藤佩帯内助上杉氏とあり、此銘は天和二年皐月、南禅寺見僧録司剛室崇寛の撰也、〉などに出て、はやく寛文といふとしの頃にきこえたるお、世人物部氏がみだりごとにおこれりとおもふは、いみじきひがこと也、そは古事談〈五の巻、神社仏寺部、北野天神の詩、〉太平記〈十二の巻、天神事の条、〉北野縁起〈下巻〉天満宮託宣記〈正暦四年十一月十六日の条〉梅城録、空華集〈廿の巻、祭天神文、〉筑前国続風土記〈一の巻総論〉などに、太宰府お西都といひ、空華集、〈九の巻、寄題北野行祠詩に、西府東都比夢境と見ゆ、〉一覧亭の詩、〈鎌倉志二の巻に載す、嘉暦年中鎌倉の一覧亭にてつくりし詩也、〉慈恩寺の詩〈鎌倉志七の巻、前南禅大周周奝が慈恩寺の詩に、客至曾誇絶境殊慈恩山水冠東都といへり、〉などに、鎌倉お東都といひ、万葉集、〈十八の巻、越中守大伴家持宿禰の坂上郎女に報(こたふる)歌に、安万射可流比奈能美夜故爾(あまざかるひなのみやこに)、安米比度之(あめびとし)、可久古非須良波(かくこひすらば)、伊家流思留事安里(いけるしるしあり)と見ゆ、橘千蔭が略解に、本居宣長雲、大平が説に、都夜故(みやこ)は夜都故(やつこ)お誤れる也といへり、まことにしかるべし、国府おひなのみやこといふべきよしなし、遠(とほ)の朝廷(みかど)といふとは、事のさまかはれりといへり、といふ説お載たれど、中々にひがこと也、こは仙覚抄十九の巻に、都夜故と書てみやことよむことは、傍訓の証拠もありぬべし、(中略)その心おいはゞ、みやことは王城おいふ、しかるにひなのみやこといふは、諸国の国府は田舎にとりてのみやこなれば、ひなのみやこといふべし、◯中略〉田村の謡詞〈表百番活板に、ひなの都路へだてきて、九重の春にいそがんと見ゆ、〉などに、国府おひなのみやこといへるにむかへて、そのにぎはヽしき所なれば、うちひさす花の都のありさまにたとへしのみ、〈◯中略〉和名抄に、遠江国引佐(いなさ)郡の京田(みやこだ)〈◯註略〉常陸国久慈郡の都(みやこ)、〈◯註略〉讃岐国山田郡の宮所(みやどころ)〈◯註略〉豊前国のこほりの名京都(やみこ)〈◯註略〉名所の伊勢の多気の都(みやこ)、〈◯註略〉信濃の都井(みやこい)、〈◯註略〉みちのくの都島(みやこじま)、〈◯註略〉おなじ国のみやこの里〈◯註略〉なども、ひなの都のあかしといふべし、そが中に太宰府と豊前国の京都(みやこ)のこほりとは皇居の跡也、〈◯下略〉