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東雅
三地輿
鄙(○)ひな 義不詳、上古には至尊お称するに日お以てし、其立ち給ふ所お称するに天(あめ)おもてす、荒陬おさして、あまさかるひななどいひしは、天お離るヽ事の遠く、日の御蔭なきの義なるべし、さらばひなとは日無(ひな)也、後に漢字お得て、夷の字読てひなといふ、旧事紀日本紀に、下照姫の歌お今号(なづく)夷曲(ひなぶり)としるされ、あまさかるひなとは天離夷(あまさかるひな)也と、釈日本紀に注せしが如き是也、〈旧説にひなとは日長(ひな)也、田舎のつれ〴〵にして、日長きお雲ふなりなど見えたれど、下照姫の御歌に、あまさかるひなといふ言葉始るなり、上古の代に夫等の義によりてかヽる詞あるべしとも思はれず、田舎読ていなかなどいふ事は、ひなといふ語の転ぜしにやあるべき、〉