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山城国は、やましろのくにと雲ふ、原と山背、山代、開木代等の字お用いたりしが、桓武天皇の延暦十三年、改めて山城と為す、蓋し地勢に拠れるなり、東は近江に境し、西は丹波、摂津に至り、南は伊賀、大和、河内、北は丹波に接し、東西凡そ六里、南北凡そ十五里あり、此国は、古へ国府お乙訓郡に置き、乙訓(おとくに)、葛野(かどの)、愛宕(おたぎ)、紀伊(きい)、宇治(うぢ)、久世(くぜ)、綴喜(つヾき)、相楽(さがら)の八郡お管す、仁明天皇の朝、勅して畿内の第一班と為し、延喜の制、上国に列す、明治維新の後、新に京都市お設け、京都府おして一市八郡お治せしむ、 京都は、葛野愛宕の二郡に跨る、其奠都は、桓武天皇の時に在り、事は皇都篇に詳なれば、宜しく就て看るべし、