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松の落葉

山城国はやまきのくにといひたりし事 日本後紀一の巻、延暦十三年十一月のところに、此国山河襟帯、自然作城、因斯形勝可制新号、宜改山背国為山城国とあれば、山背国(やましろのくに)の名お山城国(やまきのくに)とかへたまへるなり、源順朝臣など新号とあるおいかヾ心えられけん、もじのみかはれる事として、和名抄に山城〈夜万之呂〉としるされしはいみじきひがことなり、此抄の郡郷の名は、其時の人のいふまヽにしるして、住吉〈須美与之〉とかヽれたるたぐひいにしへにたがへる事は、ほかにもおほかれど、これらはさはかくまじき事ぞ、延暦のみかどのみさだめにたがへる事なればなり、このひがことよりおこりて、今の世には城(き)おしろといへり、城と雲もじは、日本書紀には、きと訓によみ、又さしともよめれど、しろとよめることは、すべて古書にみえたる事なし、山城国のもじは、やまきのくにとよまんぞ正しかるべき、されど国の名などはあやまりにても、久しくいひなれては、今さらにわたくしには、あらためがたき事なりかし、