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古事記伝
三十六
都芸泥布夜(つぎねふや)は〈此言書紀には四首ある並夜字なし、万葉十三にもあるにも夜字はなし、此記には四首ある二首には夜字あり、二首には無し、あるおば師(賀茂真淵)は衍なりとせられつれど、此も次なるも、諸本共に有れば、今はさてあるなり、〉継苗生(つぎ子ふ)やなり、〈夜は余と雲むが如し、歌ひ出したる辞なり、〉那閉(なへ)お初めて泥(ね)と雲り、継苗とは山の樹お伐取たる跡に、又継て樹お生し立む料に植る苗お雲、生は其苗お予て蒔生(まきおほ)し設け置く地なり、〈粟田(あはふ)豆田(まめふ)、浅茅生、蓬生などの類、皆其物の生たる地お某生(なにふ)といへり、〉さて稲の苗お蒔生する田お苗代と雲如く、かの山の樹の継苗お生する地お山代と雲なるべし、凡て山の用は材お出すお主とする故に、即材お伐取る事お山と雲て、〈杣人の材お伐初るお山口と雲、又材お造る斧お山多豆と雲、これらみな山とは材につきて雲り、〉此は其伐出すべき材の継苗お生する地なるお以て山代と雲り、万葉に開木代(やましろ)とも書るは此義なり、〈開木は代と離して意お取るときは、材お伐出す意にて山なり、又代に連ねて意お取るときは、材お生立る継苗の意なり、何れに取ても此にかなへり、されば此継苗生の考お以て、かの開木代(やましろ)と書る義おも相明すべし、〉されば此枕詞は、継苗生之山代と雲意につヾけたるなり、〈然るお昔より万葉に次嶺経と書るに依て、続きたる山お経てゆく由に解来たるは当らず、まづ次嶺と雲言も、いかゞなるうへに、山城国は、大和よりたゞ程近き山一重おこそ越れ、さいふばかり続きたる山お経て行国には非るお、いかでか然は雲む、〉さて山代は、本より一国の大名にてもあるべけれど、又思ふに、始はかの継苗生お雲、山代より負る一郷などの名にてもありけむ、〈本より一国の名にても、此枕詞のつゞけの意は同じことなり、〉