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日本国郡沿革考
二畿内
山城 古作山背、或作山代、〈国造記〉延暦十三年十一月詔、改山背国為山城国、是時奠都焉、民皆欧歌、異口同辞、号平安京、承和三年十月、承前之例、畿内国次以大和国処之第一、勅宜以山城国処之第一、上国、管八郡四百七十七村、〈諸国郡名、以延喜式、和名抄、拾芥抄所載之異同、注各郡条下、而色葉字類抄、運歩色葉抄、古本節用集、亦載郡名、各有小異同、〉 乙訓〈五十二村 古弟国、後為郡、延暦十六年八月、遷国治於長岡京南、旧在葛野郡、地隘也、貞観三年六月、国司奏、以河陽離宮少行幸而稍就破壊、請為国司為政之所、当存旧号、臨有行幸、而先掃之、◯中略〉 紀伊〈三十四村〉 葛野〈八十一村〉 久世〈四十二村〉 愛宕〈八十一村〉 宇治〈五十一村 日本紀作菟道、万葉集氏川、即是、〉 綴喜〈五十四村 古事記作筒木、仁徳紀筒城岡、万葉集管木之原、即是、〉 相楽( /さからか)〈八十二村〉