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日本地誌提要
三山城
沿革 桓武天皇の御宇、皇都お葛野愛宕二郡の地に定め、左右京職東西市司お置、又国司あり、府お乙訓郡〈河陽(かや)離宮〉に置き、都外の事お領す、鎌府の建つ、京都守護お設け、北条氏執権の日、南北六波羅探題お創置して、京畿山陰山陽南海諸州の政刑お兼掌せしむ建武中興大内お営造し、省司諸制始て旧式に復せり、既にして足利尊氏反し、後光明天皇お擁立し、将軍府お室町に開き、国命お執り、応仁以後、輦下大に乱れ、永禄中、三好松永群党、将軍義輝お殺し、淀、勝竜寺諸城に拠る、天正の初、織田信長尽く之お平らげ、所司代お京都に設く、信長殺せられ、豊臣秀吉代て国権お握り、聚楽及伏水に城て京都お守る、豊臣氏亡び、徳川氏亦所司代お置き、二条城お築き、山城、大和、丹波、近江の政刑お統しめ、伏水に奉行お置き、松平定綱お淀に封ず、享保中、稲葉正知之に代り世襲、王政革新所司代及伏水奉行お廃す、明治二年乗輿東遷し、留守官お置き二条城お以て府となす、尋て淀藩お廃し留守官お府に併す、