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長禄記
去程に明れば十九日〈◯長禄四年九月〉辰の一天に、都お落させ給、〈◯畠山義就、中略、〉去程に茄子造こうづの里(○○○○○)お打過て、余りの事のうらめしさに、年お守りの星田の里(○○○○)、打恨つヽ行程に、駒も静に打上り、蕭敷秋の野崎の里(○○○○)、猶裏枯る草賀より、一宮お伏拝み、若江の城に入給ふ、自昔諸大名度々に及て都お落行しに、白昼にしとやかに落給は、今の義就と皆々沙汰しけり、去程に次郎殿は、同廿三日、家督の御出仕有て、次の閏九月九日、和州へ下り給ふ、義就は愁の西路お下給ふ、政長は悦つヽ、東門お開て、天にも上る計なる、高倉お下りに、法性寺お見渡せば、晩稲お苅て稲荷山、斯る憑みは深草の、鶉の床に伏見の里、白菊笑る野お見れば、荻の枯葉に紫の、さながら藤の森(○○○)過て、木幡の里に馬はあれど、歩にて下る人々が、八十宇治川の辺にて、神保宗次郎御馬に近く参り、御物語申様、此宇治と申は久敷名所也、特更源氏に縁多き処也、〈◯下略〉