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徒然草

悲田院の尭蓮上人は、俗姓は三浦のなにがしとかや、さうなき武者なり、故郷の人の来りて物語すとて、あづまの人々に、いひつることはたのまるれ、都の人はことうけのみよくて実なしといひしお、聖それはさこそおぼすらめども、おのれは都にひさしくすみて、なれて見侍るに、人の心おとれりとは思ひ侍らず、なべて心やはらかに情あるゆへに、人のいふほどの事、けやけくいなびがたくて、よろづえいひはなたず、心よはくことうけしつ、いつはりせんとは思はねど、ともしくかなはぬ人のみあれば、おのづからほいとおらぬ事おほかるべし、あづま人はわがかたなれど、げには心の色なくなさけおくれ、ひとへにすぐよかなるものなれば、はじめよりいなといひてやみぬ、にぎはひゆたかなれば、人にはたのまるヽぞかしと、ことはられ侍りしこそ、此ひじりこえ打ゆがみ、あら〳〵しくて、聖教のこまやかなることはり、いとわきまへずもやと思ひしに、此一ことばの後、心にくヽなりて、おほかる中に、寺おも住持せらるヽは、かくやはらぎたるところありて、其益もあるにこそとおぼえ侍し、