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日本書紀
三神武
戊午年九月、弟滑又奏曰、倭国(○○)磯城邑有磯城八十梟師、 三十有一年四月乙酉朔、皇輿巡幸、因登腋上銜間(わきのかみのほつまの)丘、而廻望国状曰、妍哉乎国之獲(あなにえやくにのえつ)矣、雖内木綿之真窄国(うつゆふのまさきくに)、猶如蜻蛉之臀呫(あきつのとなめせるが)焉、由是始有秋津洲(あきつしま)之号也、昔伊奘諾尊目此国曰、日本(やまと)者浦安国、細戈千足国、磯輪上秀真国、復大己貴大神目之曰、玉牆内国、及至饒速日命乗天磐船、而翔行太虚也、睨是郷而降之、故因目之曰、虚空見日本(そらみつやまとの)国矣、