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河内国は、かふちのくにと雲ふ、称徳天皇の神護景雲三年に、国お改て河内職と為し、光仁天皇の宝亀元年、職お改めて国に復せり、此国は五畿内の一にして、東は大和、西は摂津和泉、南は紀伊、北は山城に堺し、東西凡そ四里、南北凡そ十三里あり、此国は、古へ国府お志紀郡に置き、錦部(にしごり)、石川(いしかは)、古市(ふるち)、安宿(あすかべ)、大県(おほかた)、高安(たかやす)、河内(かふち)、讃良(さらヽ)、茨田(まむだ)、交野(かたの)、若江(わかえ)、澀川(しぶかは)、志紀(しき)、丹比(たぢひ)の十四郡お管し、延喜の制、大国に列す、後丹比お分ちて丹南、丹北と為し、又新に八上(やがみ)郡お置きしが、明治維新の後、交野、讃良、茨田の三郡お併せて、北河内郡と為し、若江、河内、高安、大県、澀川、丹北の六郡と、志紀郡の一部とお併せて、中河内郡と為し、安宿、八上、古市、石川、錦部、丹南の六郡と、志紀郡の大半とお併せて、南河内郡と為し、大阪府おして之お治せしむ、