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人国記
和泉国 和泉国之人は、風俗且而実儀なく、最千人に一二人は実儀之人もあるべけれども、都而物之上手成もの無之、増而名人と雲ほどの者鮮し、末世もさ有べし、本此国は河内と紀伊国より割り出したる国と聞く先其風俗お見るに、人おたぶらかし、出家沙門他国之商売之人等、金銀等おたくはふると見る則は、関東之人之人お殺害するの類は無ふ而懐けて後に品お以てかどわかす等之風儀なり、根本に実儀すくなきが故に、譬ばかみそりのはが子悪きお如見が也、人前行跡は如形見ゆるといへども、彼のかみそりのはが子少なきが如き故に、後には可用様なきに等し、たまたま実儀の人有といへども、国風の垢お削る人無き故に、身持墜弱に而、踏しむる心も後は大形失ふ也、石津神馬藻(なのりそ)塩船乗りは余国に勝れたり、是国お傾けん事は五日之内也、威お高く振、卒法お以て是お動ば不可経数日也、次に癩瘡人多し、篠田明神に野狐多し、此狐人お能くたぶらかす事お得たり、されば此国は唯野狐に衣服おしたるに似たり、不頼也、別而和泉の府日根悪し、