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玉勝間

摂津 津国お摂津といふは、もと国の名にはあらず、難波津おつかさどれる官の名なり、難波は古京師に准へて、京職と同じく摂津職おおかれたる、これむねと難波によれる官にして、津国の事おも兼掌れり、職員令に、摂津職帯津国とあるおもて心得べし、そのかみ国のことおも摂津国と書る、これも摂津職の掌る国といふ意なり、さて摂字は、難波と津国とお摂(か子)て掌るよしなり、静謐の意ぞなどいふはあらず、かくて延暦十三年停職為国とありて、それより其官、諸国司の列となれり、然れども字はなほもとのまヽに、摂津とかヽれたる故に、後の人皆これおもとより国名と思ふめり、さて文には摂津と書ながら、職にて有しほども、口によぶ詞には、たヾ津のつかさとぞいひけむ、さらではよぶべきやうなし、国の列になりてはさらなり、然るお俗にせつつとしもよむはいふにたらぬひがことなり、今の世にも津の国といひ、摂津守などおも、つのかみとよむぞ正しかりける、むかし女房の名にも摂津といひし有て、撰集などにも出たり、これもたヾ津とこそはよびつらめ、続世継に、津のごとぞある、ごは伊勢のごなどいふごなり、