[p.0365]
細川両家記
高国〈◯細川〉方の衆切まけて、大将分皆々討死する、雑兵以下三百余人死するなり、残る勢はいづみの境へ漸々逃入也、然ばその日〈◯永正八年七月十三日〉に、澄元〈◯細川〉方、欠郡(○○)中島まできり上る、〈◯中略〉 一同〈◯天文〉十二年十月十二日に、氏綱〈◯細川〉欠郡(○○)内喜連杭全と雲処へ御出張候へども、泉州横山合戦玉井総じて引退候間、同十九日に則氏綱も御帰陣也、然ば世上しづか也、