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玉勝間

しはつ山笠縫島 古今集大歌所の歌、しはつ山ぶり、しはつ山うち出て見れば笠ゆひの島こぎかくるたななしおぶね、これは万葉三の巻に、四極山(しはつやま)、打越見者(うちこえみれば)、笠縫之(かさぬひの)、島榜隠(しまこぎかくる)、棚無小船(たななしおぶ子)とある歌なるお、笠ゆひとは、うたひひがめたるなり、さてしはつ山笠ぬひのしまは、或人のいはく、ともに津の国なり、〈◯中略〉さて笠縫島は、今東生郡の深江村といふところ是なるべし、此所、菅田多く有て、其菅他所より勝れたり、里人むかしより、笠おぬふことお業として名高く、童謡にもうたへり、今も里長幸田喜右衛門といふ者の家より、御即位のおりは、内裏へ菅お献る、又讃岐の殿へも、円座の料の菅おまいらすとぞ、〈◯中略〉さて此深江村は、大坂城より東にあたりて、河内の堺に近し、此地いにしへは島なりしよし、里人いひ伝へたり、まことに此わたり、古は、北の方は難波堀江につヾき、東は大和川、南西は百済川、そのほかも小川共多く流れあひて、広き沼江にて有しとおぼしくて、難波の古き図のさまも、然見えたり、又今此里人の語るおきくに、此村のみ地高くて、ほとりはいづ方もいづかたも地ひきし、井などほれば、葦の根、貝のからなどいづといへり、かくて此ところ、かのしはつ山の坂路より北にあたりて、よきほどの見わたしなれば、島こぎかくるたななし小船とはよめるなりけり、