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碩鼠漫筆

大坂は旧小坂と呼けむ事 摂津国の大坂は、旧は小坂と呼び、或は尾坂ともかけりけむお、明応の頃よりか、大坂とも書そめけむとおぼし、〈◯中略〉上件の諸書〈◯醍醐日記、厳助僧正記、二水記、天聴集、無名記、永禄九年記、〉の限り、或は小坂ともかけるにやともおもへど、猶よくおもふに然るべからず、此地本よりしからむには、大かたは大坂と有て、たま〳〵小坂尾坂などはあらむお、小坂の号のみ多く見ゆれば、是お古名と決むべきに似たり、さて大坂と呼そめたりしは、何時許りならむと推考なるに、疑ふらくは明応五年に、蓮如上人此地お卜て、本願寺お建立せしほど、小坂の号お祝ひ更め、始て大坂と呼びしにはあらじか、何れにも此寺建立せし後に、改めしものと見えたり、但ししか呼かへたる事、やがて世間にしるべくもあらねば、暫くはなほ旧名にのみ、他し方よりは呼てぞ有けむ、〈◯中略〉其後天正に及びては、凡て大坂とのみ呼びけむとぞおぼゆる、されば小坂はいと古き名とおもへど、いつばかりよりともしるべき由なし、〈◯下略〉