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一話一言

大阪状 一此地米直段下直に候、〈◯中略〉扠々結構成所にて、遊で食ふもの多き筈にて候、江戸より見候へば、半分は遊んで居り、気の長き事、急の間に不合、道おもうかり〳〵あるき、人およけ候事お不知、供などに叱られ、肝おつぶし申候、大名往来など見候はヾ、驚き可申候、正九つより八時迄は、町中にて昼寐也、 一家作の仕方、至て上手にて、戸のしまり、竈本の様子、台所向棚のつり様など、感心いたし候、〈◯中略〉一土用に成候へども、具足など干し候事、一向跡かたもなき事也、誰も見やうなどヽいふものなし、重ては張ぬきにてもよし、町人いづれも人柄よく候処、此方体の家来御普請役など、家来ども其さま賤しく、気の毒なる位也、嘸々わるせはしく下卑たる事と、さげすみ居り可申と恥入候、〈◯中略〉 六月〈◯享和元年〉七日 大田直次郎 島崎金次郎様 一毎朝、辰牌後より未牌後までは、役所に罷在候、〈◯中略〉市中の人、日傭取まで、古雅に御座候、皆々朝寐、午時より未時頃迄は、市人といへども、一度づヽ昼寝也、夜談おこのみ候、米価は一升五十二文より九十文位まで故、市人くらしよく候、女の風俗重て可申上候、余程面白事に候かつぎお著候形など、小原女の体など、金屏風の如し、二千年来の化には感じ入候、 六月七日 大田蕈 山内尚助様 一六月十八日出の状、廿五日夕相達候、其地〈◯江戸〉暑中冷気の由、此方〈◯大阪〉は土用前は、左のみにも不覚候処、暑中酷烈、夜分蒸しあつく御坐候、作去旅宿広く風入候間、凌ぎよく候、其上夕方日影傾候へば、二階の物干へ上り候処、ことの外凉く御座候、物干より屋根へかけ階子腰掛等有之南は紀州の山々、近くは天王寺の塔、東は伊駒山金剛山、近くは大坂の御城の櫓白壁、北は京の山山、丹波の山、西には武庫山、甲山、一の谷、ひよどり越、すま明石の方、すこしはなれて淡路島、其前は海、木津川口の帆柱林のごとく、近くは両本願寺の堂〈下谷の称念寺ゆう子ん寺位也〉大てい上野山王より見わたしたる所程、又は愛宕より下の屋敷お見るごとく、家根より下の方は大坂の市中不残見わたし申候、夕日に雲のうつるけしき、機関の画とも、阿蘭陀画とも可申、是にて夕方は、暑おわすれ臥り申候、隻今迄かヽる見晴しは覚不申、ことに名所計にて、中々詩も歌も出不申候、〈◯中略〉 七月二日 大田直次郎 島崎金次郎様