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人国記
摂津国 摂津国之風俗、山城之国に似たり、一円不可好也、先武士は町人百姓のなす所お我が業と覚て、是お真似、而も其当然お勤る処は、武士之業之様なれども、武芸お学ぶは渡世之為、光陰お送らん所作也と覚ゆる風俗にて、更に武士之武士には非ず、而偽り諂ふ類之人多し、亦町人は武士お真似、己が実に勤る身にあらざれば、譬ば座敷之置合に兵具おならべ置て、いんけんお吐き、亦は刀脇指お拵にも、異風に作りて金銀お費し、己が業おば如形大様にもてなし、百貫之身体之者は、千貫も持たるやうに有徳顔して、己も身上お滅し、人にも損おかくる風俗也、雖然北郡之者は実儀少有、武士もはげしき処有て、諂ふ心すくなしといへども、国風おまぬかるヽ事なくて、百人が九十人は欲心深し、是国の人お傾んには、威お専にして、金銀花飾お以て是おなびくべし思ひ、詰たる心なく、我々がち成風俗故に、欲にふけり威に恐るヽ形儀也、されども和泉之国にははる〴〵まされり、若柔に而示す則は威お奪はれ、還て害と成べき国風也、大和山城河内之はづれの国成故に、四け国之水土集りたる風俗なれば、善事も有て、亦悪き事も有といへども、総而之風儀、柔弱虚談之国風故、武は用るに不足也、雖然間々義お弁ふるものも可有とは、北郡お差ての事也、 口伝右五畿之風俗、都而智恵はしりて実お失ふ人多し、人は唯実お本と而身お定るお以て人とす、実寡く虚多く智有者は疑之第一也、宝寡ふ而虚多く智有者は、疑心多く而一和する事なき也、己お全ふ而人お不可疑也、人我お疑ふは我に実不足乎、我に実有と雲共、来る人虚之邪智かと可知也人々お疑ふ風俗之国成故に、人お而人お疑せて、時至らば不招とも可来、此時出陣せば、一陣に向ふて滅せん事手中に有、猶口伝、