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日本地誌提要
八伊賀
沿革 古へ国府お阿拝郡に置、〈今の西条村是なり〉鎌府の時、平賀朝雅、大内惟義、子惟信、相継て守護たり、足利尊氏の筑紫より京に入、仁木義長おして、伊勢守護お以て本州お兼知せしめ、子孫に伝ふ、応永の初、将軍義満、名張伊賀二郡お北畠顕泰に与ふ、永正の末、仁木氏衰へ、柘植服部諸族相鬩く、北畠氏擊て之お降す、天正九年、織田信雄諸族お滅し、其地お併せ、滝川雄利お以て守護と為し、上野城に居らしむ、十一年、信雄、豊臣秀吉と隙あり、秀吉の臣脇坂安治、上野お襲ひ雄利お逐ふ、秀吉、安治おして長田市場に居て州事お管せしむ、明年、筒井定次お封ず、慶長十三年、徳川氏其封お収め、之お藤堂高虎に賜ひ、世襲、王政革新、三重県より兼治す、