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冠辞考
三加
かんかぜの 〈いせの国◯中略〉 こは神風(かんかぜ)の息(いき)といふべきお略きて、伊の一語にいひかけたるなり、何ぞなれば、神代紀に、我所生之国、唯有朝霧而、薫満之哉、乃吹撥之気化為神、号曰級長戸辺命、亦曰級長津彦命、是風神也と雲て、風は天津神の御息なれば、神風のいきとはいふべき事也、〈◯註略〉さて万葉巻二に、〈◯註略〉神風爾(かむかぜに)、伊吹惑之(いぶきまどはし)、天雲乎(あまくもお)、日之目毛不令見(ひのめもみせず)、雲々、こは右の吹撥之気雲々の語によりてよみたれば、伊吹は即息吹の上のきお略きし事右に同じ、大祓詞に、気吹戸主止雲神、根国底之国爾気吹放氐牟といへるも、気おいとのみよめり、はた一語に雲かくる冠辞の例は下に多し、〈◯註略〉 仙覚は風土記お引て、伊勢津彦の、神風お起して信濃国へ去しより、神風の伊勢とはいふといへりしお、契冲がいへらく、神武紀お考るに、戊午の年の十月に、八十梟帥お国見の丘にて擊給ふ時、かんかぜの、いせの海の、大石にや、いはひもとへる、したヾみの雲々、此天皇菟田の下県に到給へるは、同年七月なるに、それより天日別命、東の数百里に入て、伊勢津彦お平げたまへるお、十月に至りて、天皇やがて神風の伊勢とよませ給はん事信じ難しと、真淵おもふに、風土記は古き書といへど、諺お専ら挙たれば、泥むべからぬ物なるお、仙覚はまだしくて、みだりに引り、契冲が論ひは、実にいはれて侍りけり、さて神武の大御歌と、紀の語などによりて、その後には隻伊勢にのみ冠らせこし也、凡の事多くはしかり、譬へば青によし奈良は、たヾ平(なら)すとかヽりたる語なるお、此詞いひなれては、即奈良の名のごとくなりて、あおによしくぬちともよめるが如く、後には神風といへば、伊勢の国の事の様におもふなりけり、