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勢陽五鈴遺響
桑名郡一
桑名郡 桑名と称する名義は、相伝雲、旧き名にして太古の時、天照大神此伊勢国に宮処お覓め玉はんとて、大鳥に化して此地の桑原に天降り、桑の若枝に止り坐せるお以て、扶桑若木の名起り、其処お桑名と号すと、詮要抄に載たり又美濃と尾張の界にて、桑の幾もと植にけんと、古詠国風に諷せり、こヽお以郡名の起原なるべしと、桑名郡賦に記せり、憶ふに桑名は即桑田の通音にして、名田相適へり、敢て名と雲に泥べからず、此に拠るときは、此地の総名にして、本郡に桑部村あり、田に相同じ、旧桑名神社の所在にして、旧貫に従ふときは、尊重すべき所なり、〈◯中略〉本郡邦俗多度の郡、或は横の郡とも称せり、多度郡の名は、北畠村親卿の記にも載す、和漢三才図会等の俗書に、伊勢国郡管内十二、多度錦島御座島お加て以上十五郡とす、及拾芥抄に十二郡とし河曲お省けり、多度錦島御座の三名なし、今考に錦島は紀州牟婁郡に隷り、御座は志州英虞郡に隷る、往昔本州に混属せり、其時世に桑名の外に美濃州に属せる多度お以て、本州の有となりしお加へて十五郡と称すなるべし、故に多度桑名同郡なれば、今も通じて私称す、横の郡は員弁郡は、西北に居して縦とし、本郡は東南に蟠て横なる地勢お以て俗称すなるべし、〈◯中略〉本郡疆域は、東は滄海お限り、尾張州知多郡及海東郡に接す、西は員弁郡界お限り、南は朝明郡界お限り、北は尾張州海西郡、美濃州揖斐郡及多芸郡お限れり、