[p.0441]
勢陽五鈴遺響
三重郡一
三重郡 三重と称する名義は、旧と景行天皇朝に倭建命東征の時、古事記曰、自其地幸到三重村之時、亦詔曰、吾足如三重勾而甚疲、故号其地謂三重、是桑名郡尾津山より鈴鹿郡能褒野に到玉ふ順路なり、其故お以て名の起れるなり、〈◯中略〉本郡封疆は東西四里、南北二里、東は東海お限り、西は近江州お限り、南は鈴鹿河曲二郡の界お限り、北は朝明郡界たり、朝明郡界は、当郡羽津村と三つ屋の間、羽津志氐神社の前に標石あり、又鈴鹿郡界は、高岡川の水源お界とし、今宿村と高岡村の間に界あり、