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古事記伝
二十八
尾津前、此なる御歌に依に、津は清て読べし、和名抄に伊勢国桑名郡尾津〈乎津〉郷、神名帳に同郡尾津神社もあり、此地なり、今は地の名も社の名も遺らず、たヾ戸津村と雲があるお、其と語伝へたり、〈今桑名より二里許西北方、多度神社より廿町ばかり東南の方に、溝野村、戸津村と雲ありて、東西に並びたり、其間に八剣宮と雲社のあるお、尾津神社なりと雲、戸津お尾津なりと雲、此なる倭建命の御故事おも語り伝へたり、其地美濃より伊勢に通ひし古道にて、今も然なり、美濃の多芸郡より、石津郡お経て至る処にして、美濃との国堺より、一里あまり南なり、此あたり今は海辺よりは遠けれども、古はやがて海辺にて、尾張の津島より渡る泊なりしよし雲伝へたり、まことにさぞありけむ、凡て今の桑名郡の長島あたりの地より、尾張の海西郡海東郡の地などは、古は多くは海にてありしお、やう〳〵に南の方へ地お広けて、今の如くにはなれるなれば、尾津崎は此戸津村のあたりにて、上代には尾張の年魚市県に、直に向へる地にぞありけむかし、内山真竜雲、此あたりは多度山の尾崎の長く引延たる地にて、其山の崎お里人は鼻長と雲り、まことに崎と雲べき地形なり、又今は海は遠けれども、入海のさまして、古海べたなりけむこと、著く見ゆるところなりと雲へり、此言に就て思ふに、多度山の尾崎の地なる、津なるお以て、尾津とは雲しにもやあらむ、〉