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玉勝間
十四
伊勢国 伊勢の国は、かた国のうまし国と古語にもいひて、北のはてより南のはてまで、西の方は山々つらなりつヾきて、まことに青垣おなせり、東の方は入海にて、いせの海といふこれなり、かくていづこもいづこも、山と海との間、ひろく平原にして、北は桑名より、南は山田まで、廿里あまりがほど、山といふ物一つもこゆることなく、ひたつヾきの国原なり、その間に、広き里々おほかる中に、山田、安濃津、松坂、桑名など、ことににぎはヽしく大きなる里なり、大かた京より江戸まで、七国八国お経てゆく間に、かばかりの大里は、近江の大津と、駿河の府おおきてはあることなし、外の国国も思ひやらる、猶件の里々につぎて、四日市、白子などよき邑なり、かくて此国、海の物、山野の物、すべてともしからず、暑さ寒さも、他国にくらぶるに、さしも甚しからず、但しさむさは、北の方へよるまヽに次第に寒し、風はよくふく国なり、国のにぎはヽしきことは、大御神の宮にまうづる旅人たゆることなく、ことに春夏の程は、いと〳〵にぎはヽしき事、大かた天下にならびなし、土こえて稲いとよし、たなつ物も畑つ物も大かた皆よし、かくて松坂は、ことによき里にて、里のひろき事は、山田につぎたれど、富る家おほく、江戸に店といふ物おかまへおきて、手代といふ物おおほくあらせて、あきなひせさせて、あるじは国にのみ居てあそびおり、うはべはさしもあらで、うち〳〵はいたくゆたかにおごりてわたる、すべて此里、町すぢゆがみ正しからず、家なみわろく、一つごとに一尺二尺づヽ出入てひとしからず、いと〳〵しどけなし、家居はさしもいかめしからず、されど内々のすまひはいとよし、水はよき所とわろき所とありてひとしからず、川水すくなく、潮もさヽねば、船かよはず、山へは大方一里あまり、海へは半里、あまり、諸国のたよりよし、ことに京江戸大坂はたよりよし、諸国の人の入くる国なれば、いづこへも〳〵たよりよし、人の心はよくもあらず、おごりてまことすくなし、人のかたち、男も女もい中びたることさらになくよろし、女は里のゆたかににぎはヽしきまヽに、すがたよそひよし、すべておさ〳〵京におとれることなし、人の物いひは、尾張の国より東の国々はなまりおほきお、伊勢は大かたなまりなし、されど山城大和などとは、何となく声いやしく、詞もいやしきこと多し、いはゆる呉服物、小間物のたぐひ、松坂はよき品お用ひて、山田津などヽは、こよなく代物よし、されば商人の、京よりしいるヽも、松坂はことに物よく上々の品なり、京のあき人つねに来かよふなり、時々のはやり物も、おり過さず、諸芸は所がらにあはせては、よきこともあらず、もろ〳〵の細工いと上手なり、あきなひごとにぎはヽし、芝居、見せ物、神社、仏閣、すべてにぎはヽし、すべて此国は、他国の人おほく入こむ国なる故によからぬ物もおほく、盗なども多し、松坂は魚類野菜など、すべてゆたかなり、されど、魚には鯉鮒すくなく、野菜にはくわい蓮根などすくなし、松坂のあかぬ事は、町筋の正しからずしどけなきと、船のかよはぬとなり、