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倭訓栞
前編十一志
しま 国の志摩も島の義也、古事記にみゆ、続日本後紀に、伊勢答志郡と見えて伊勢お分てりといふ、よて伊勢島などいへり、或はもと伊勢参河の中間に在りしが、海の為に淪没せられて、後来伊勢の東辺お割て、志摩国とすといへるも、地形お観察するに、さもありぬべし、畔乗のあたり、伊雑の浦に、数千尋の海底に、鳥居のありし物語も、証とするに足れり、