[p.0469][p.0470]
志摩国旧地考

志摩〈一雲島津国、又雲伊勢島、◯中略〉 橘守部、神楽歌入文、弓立注雲、今按、伊勢島とは志摩国の事也、志摩はもと伊勢に属て、一島はなれたれば然か雲也、されば此神楽などの如く、伊勢島やいそらが崎、伊勢島やたふしの浦になど、よみたるはよし、中昔後の歌に、伊勢島や一志の浦など、よみしはひが事なり、一志は雲津星合の浦、藤方、垂見辺の郡名にて、元より島国にはあらず、按るに入綾の弁説最宜し、但し一島はなれたれば然か雲也、と雲へるは違へり、国名お志摩とは雲へど、彼淡路隠岐、佐渡の如き離れ島の一国にはあらず、伊勢及旧くは紀伊国に堺ひたる地続きの国なれど、管する島々の多くある故に、一国の号となれるものなり、上に引く風土記抄に、放地出海中之島也とあるも、島々の多かる国体の、大凡お謂へるなるべけれど、然は聞取がたく、実に離島の一国たる状に思はるヽ麁漏の記文と雲ふべし、又諸国名義考志摩条に、こは国体によりて号けたるなるべし、此国答志郡答志崎は、海中にさし出て、参河国いらごが島と対ひ合ひたれば、島の国ともいふべきさまなり、と雲へれど、答志崎と伊良虞島と対ひ合せたりとて、島の国と謂ふに決すべからず、かヽる地勢は、沿海の国に、数知れず多きことなり、