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東京地学協会報告
国郡沿革考第二回 塚本明毅 志摩 元正天皇養老三年四月丙戌、分志摩国塔志郡五郷、始置佐芸郡、按ずるに和名抄に塔志郡五郷、英虞郡六郷あり、佐芸郡他書に見へず、塔志郡お割きし地、英虞郡の外、之に充つべきなし、蓋志摩元一郡にして、是時始て二郡となし、〈佐渡元一郡、養老五年四月、分為三郡、〉佐芸郡お置き、後に英虞郡と改称せしなるべし、持統天皇紀曰、六年五月庚午、御阿胡行宮、阿胡即英虞なり、和名抄曰、国府在英虞郡、蓋し分郡の後、阿胡宮お以て国府となし、因て郡名お改めしならん、但し今国府村答志郡に属せしものは、郡境変遷せるに因れり、