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尾張志
国号及本基の総論〈◯中略〉 尾張と号たる故縁は、古伝お失ひて知りがたし、〈◯中略〉按ずるに、郷の名より出て国の大号となれるなるべし、然いふ故は、諸国に例多かる上に、本所の地名あれば也、まづ延喜神名式に、山田郡尾張神社、尾張国内神名帳に、山田郡尾張田天神と見えたる地は、今春日井郡〈もとは加須我倍といひて、春部と書り、倍お井と呼は、音便にあやまれる語、春日井と三字にかくも、中昔の御掟にたがへる近世のならひ也、〉味岡荘に属る〈この地あたりまで、古くは山田郡也しかば、此処の荘名も山田なる事著明お、後に他荘につけるなり、〉小針村なり、是は尾張氏本居の地にて、はじめは小治田といひしが、後に小針となれり、小治田といひし事は、万葉集〈十三巻〉に小治田之、〈今本治お沼にあやまれり〉年魚道之水乎雲々、また続紀に、神護景雲二年十二月甲子、尾張国山田郡人従六位下小治田連薬等八人、賜姓尾張宿禰〈これ小治田お乎波里といひ、連お宿禰とし、文字おも尾張と攺められし明証なり又この小治田連薬等は、姓氏録左京神別天神部に、小治田宿禰雲々、右京神別天神部に、小治田連雲々とある氏人とは同名異姓也、思混ふべからず、姓氏録なるは、皆饒速日命の後裔にて、石上朝臣物部氏など同氏也、薬等はもとより尾張氏にて、天火明命の後にて、小針村本居の氏人也、然るお旧事紀に、尾張氏と物部氏お混一にして、其始祖お饒速日命に充たるは偽説也、〉など見えたり、又村名の乎波里お小針とかく文字は、古代の書体の今に存せるにてめづらし、国号の尾張も、旧は小治、小墾、小針、尾治などぞ書けむ、〈書紀はさらなり、古事記にも、国号に必尾張とかけるは、攺られたる後の世の人のわざにもやあらむ、国造本紀に、山背相武胸刺淡海三野斐陀稲葉針間とかき、古事記に科野常道稲羽阿岐などあるは、皆上代より書来りしまゝの文字也、〉小治田といふ名の義は、万葉に小墾田とも書る如く、田に依れる名なるべし、